私が主宰する「木工藝学林清雅舎」が展覧会を開催します。是非ご高覧頂きたくご案内申し上げます。
「木工藝学林清雅舎」展
会期 2024年9月11日(水)~16日(月・休)
時間 午前10時〜午後7時 ※最終日5時まで
会場 日本橋三越本店6階美術特選画廊
木工藝を研究し共に錬磨することを目的に5人の木工家を集め始まって早6年が経ちました。名称は一昨年の展覧会から正式に「木工藝学林清雅舎」とし、また今年からは女性作家3名が加わって多彩な顔ぶれとなりました。皆それぞれに活躍しだしたことは喜ばしい限りです。
高度な木工藝を学ぶ場が、残念ながら日本にはありません。「木の国」と呼ばれるにもかかわらずです。人間国宝の任務の一つに後継者の育成がありますが、そこで言われるまでもなく、自分のやってきたことのいくつかでも若い方に伝え、連綿と伝わってきた日本の正統な木工の歴史を絶やさぬよう、何ができるか模索し取り組んできました。ですから新たに3人が、特にまだ日本では少ない女性作家が、加わったことはことのほかうれしいことで、刺激しあって精進していきたいものです。
今回展には木工藝の新しい身近なアイテムの提案として「ペンケース」の競作、さらに工芸の基本形としての箱の一つとして「香盒」の競作、2種の競作が出陳されます。メンバーそれぞれの持ち味が発揮されることを願いました。また、この他大小90点余の作品が陳列されます。
またかねてからの念願であった冊子の発行をいたします。各自が思いを文章化する機会として、作品とともに考えを述べています。こちらも是非ご一読いただきたく、会場にて販売させていただきます。
皆様のご来場をお待ちしております。
昨年の9月に始まった第70回日本伝統工芸展も、先月、九州福岡会場を最後に無事終了しました。今回は作品とともに一昨年に行った「木工芸伝承者養成研修会」の報告と成果物の展示もあり、思い出深い会となりました。多くのお客様にご覧いただき誠にありがとうございました。
例年はこれでようやく作品が帰ってくるのですが、今回はさらに選抜展が開催されるため帰宅はもう少し先になりそうです。この選抜展は伊勢神宮美術館を会場として、日本伝統工芸展の70回の節目を記念して開催されるもので、いわゆる人間国宝の作品や受賞作、神宮ゆかりの作家の作品が展示されます。
神宮と工芸作家は御神宝の製作などを通して深い関係があります。私たち工芸家が常に規範とする正倉院は、あたかも時を止めたかのように、宝物すなわち過去の偉大な作品をそのまま保存しています。対して神宮の宝物=御神宝は発祥の時期こそ同じくしますが、20年に一度すべてを新しく作り続けて常に新しい姿で今を迎えています。どちらも美の伝承、技の伝承にとって欠かせない稀有な存在なのです。
神宮の美しい森に包まれた静謐な美術館でゆっくりご覧いただきたくご案内いたします。
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特別展「式年遷宮と日本伝統工芸-不変のフォームと古からのアート-」|展覧会情報|神宮の博物館 (isejingu.or.jp)
展示作品 献保梨拭漆小箪笥『歌合』
会 場 神宮美術館展示室Ⅰ・Ⅱ(アクセス)
会 期 2024年3月15日(金)-4月17日(水)
休 館 日 木曜日(祝日の場合はその翌平日)
入館時間 午前9時~午後4時30分(最終入館は午後4時まで)
主 催 式年遷宮記念神宮美術館
協 力 公益社団法人 日本伝統工芸会
後 援 三重県教育委員会・伊勢市・NHK津放送局・中日新聞社伊勢支局
新神戸は竹中大工道具館で、現在「鉋台をつくるー東京における台屋の成立と発展」と題する展覧会が5月19日まで開催されています。私も少し協力しているのでお知らせします。
言うまでもなく鉋は木工作業の大切な、そして重要な道具です。削る作業は木工作の基本として、大工だろうと木工家だろうと木の工作に携わる人々にとって重要な工程だからです。しかしながら、今まで鉋と言えば、その刃を打った鍛冶の名は私たちの関心を集め、昔から名人が語り継がれてきた一方で、台が注目されることがありませんでした。いくら良い刃物でも台が無ければ文字通り台無しで、役にはたたないはずなのにです。
今回はその「台を打つ=作る」人々に焦点を当てたユニークな展覧会です。過去、東京では人口が集中し鉋の需要も多いことにより、分業が進み、鉋台を打つ専門職が発達しましたが、外注は六分や八分の大型の平鉋などに限られ、私たち指物職が用いる小鉋や豆鉋、特殊な面鉋などの台は自ら作ることがほとんどでした。その後は、東京においても鉋を使う職人が急激に減少しその分業が成り立たなくなってきました。これからはまた鉋台は自作による時代になるのかもしれません。
そんな時代の変わり目にあって普通の平鉋や特殊鉋の台入れに優れた職人の世界の紹介です。木工家はいなくはならないでしょうが、台屋は確実になくなる気配です。今、しっかり記憶と記録にとどめるためにもぜひご覧ください。
私も過去、台屋さんに入れていただいた鉋や自作の小鉋類を何点か出陳しています。また図録に鉋台にまつわる文を書かせていただきました。合わせてご一読下さい。
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竹中大工道具館 | 鉋台をつくる―東京における台屋の成立と発展 (dougukan.jp)
会 期 2024年3月2日(土)~5月19日(日)
開催時間 9:30〜16:30(入館は16:00まで)
休 館 日 月曜日(祝日の場合は翌日)
主 催 竹中大工道具館
監 修 土田昇(土田刃物店店主)
協 力 小吉屋渡辺木工所、横堀樫材店
あけましておめでとうございます。
ここ群馬は快晴の元旦です。大雪の地方もあり、また戦乱の地もある中、それだけでもありがたいことに思えます。
今年は私にとっていろいろ節目になる年です。年齢も古希を迎えます。遥かかなたのことと思っていましたがもうそこまで来ました。仕事を本格的に始めて50年(正確には昨年のようですが意識しませんでした)。重要無形文化財「木工芸」保持者に認定されて10年。
その年頭に当たって思い浮かぶ言葉は「僥倖」です。今まで、それなりの努力は重ねてきたつもりですが、まず努力の前提として、その素地に自分が恵まれたこと、それが周りの協力・援助を得て続けられたこと、何より報われたことは僥倖以外の何物でもありません。私を支えてくれた何ものかに、努力だけではどうにもならない偶然の積み重ねともいえる他者の存在に深い感謝を捧げたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。世界の平安を切に祈ります。
今から20年以上前に「九つの音色」という9人の作家による集まりがあり、2年ごとにテーマを決め展覧会を開いて本を出版してきました。最後の5回展(2009年)のテーマは「祈りの継承」。その時寄せた一文が今の気分に合うようです。再掲いたします。
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祈りの継承
私の周りには何故か佛家の縁が多い。かと言って私自身特に信心深いわけでもない。ごく普通の日本人の例に洩れず命日にお参りをし、回忌に法要をするくらいである。小さい時から両親が仏壇によく向かう姿を見て育ったが、それに比べると格段にその習慣から遠ざかっている。さらに子供たちを見れば後は推して知るべしである。
そのような私にとって「祈り」とは何か特定の宗教に対する帰依ではない。今私自身が生きていることに対し、大きな驚きをもって気付き、この大いなる生の偶然に対する感謝の表象という言い方が近いように思う。私たちは「おかげさまで」とごく自然に言う。喜びあり、楽しみあり、そして苦しみもあるこの現世にそれらすべてを包み込んで今生きていることは、ただただ驚きである。「おかげさま」に端的に、無意識に言い表されてきたが、それは「僥倖」ということに他ならない。
自分の足許を見つめ今ある姿を「僥倖」と言えることは何と幸せなことだろう。祖父が始め、父が築いた我が家の木工芸の系譜も、日本の近代木工芸の展開とともに100年余の時を刻んできた。
湿潤で地味の肥えた風土にあって、優良な木材に恵まれた本邦では、古より木工は盛んであったはずである。「湯水のように」という言い方があるほど水に恵まれたこの日本列島は地政学的にはまれに見る幸運の緑の大地というべきだろう。しかしだからこそ木による造形はあまりにも当たり前のものとして、改めて顧みられることがなかった。他の工芸諸技術が庶民の実用品から、それを当初目的としたかどうかはともかく鑑賞に堪えうる「作品」まで重層的に花開いたのと違い、木工品は長く実用のみの世界に甘んじてきた。
祖父が手先が器用と言うだけの理由で弟子入りしたのは、そんな時代の話である。当時としては歳をいってからの修行だったが「偶然」にも性に合い、「偶然」にも、師は作家という新しいスタイルを目指す人でありその下で正しい木工藝を習得した。その子である私の父は長男として「当然」の事として跡を継がされることとなる。決してこの仕事に向いていたとはいえぬがそれだけに人一倍努力を重ね、祖父の築いた正統の木工藝を発展させ、作家性を前面に出す生き方を選んだ。素材と技術に依拠しそこに作家としての作り手の存在を表明する日本独自とも言える工藝観に基づく作品制作である。
単に生活財を作り出す職人仕事から離れ、「作品制作としての木工藝」は苛烈と言ってもいい。その姿を身近に見て、違和感もいわんや嫌悪感など持たず私は「自然」にこの道に入った。「木の国」日本は不思議にも木工藝を体系的に教え、研究する機関を持たない。その中にあって私は幸いにも祖父から、いやその師以前からの正統な木工藝を尊び受け継ぎ、その上に自己の世界を築くことができる。また自分にとってそれがごく自然に感じられることはまさにこの仕事が私の天職であり、今ある姿が「必然」の姿と、この頃とみに思うようになった。「伝統工芸」は伝統があるだけに思いつきでどうにかなるものでも、ひらめきだけでできるものでもない。量としての技術の練磨と素材への理解が質の変化として昇華しひとりの木工藝作家として誕生するのに100年余かかったことになる。
偶然から始まり当然―自然と経て今必然と言える。これこそ「僥倖」と言わず何と言うのだろう。
私にとっての『祈りの継承』はこの今の僥倖の自覚の延長上にある。
今日ようやく仕事場に松飾を飾り付けました。その作業をしながら
来年は一つの区切りとして身辺整理をして、もう少し
来年も引き続きのご理解とご支援をお願いいたします。
世界に平安の日々が来ることを切に願っています。
須田賢司
既にご案内の通り北海道立旭川美術館で開催中の「木の匠たち」展の関連催事として、来る11月4日㈯午前10時30分より同館講堂にて講演会が催されます。こちらで「人間国宝 須田賢司ー清雅を標に」と題して、日本の木工史の中での自分の仕事についてお話をさせていただきます。
ご参加ご希望の方は午前9時30分以降に以下の番号へお電話にて美術館へお申し込みください。
お電話番号は 0166-25-2577旭川美術館 です、皆様のご応募をお待ちしております。
尚、この展覧会には黒田辰秋の棚物の大作を始め28点の木工作品が展覧されています。私の作品は若い時に道立近代美術館でのコンペでグランプリをいただいた作品(2点で一組)や最近収蔵いただいた作品のうち4点、また父桑翆の作品も同じく4点陳列され、親子の作品をともに陳列していただき感慨深いものがあります。このように木工作品がまとまって展覧されることは貴重です、是非ご高覧ください。
私が主宰する「木工藝学林清雅舎」が展覧会を開催します。是非ご高覧頂きたくご案内申し上げます。
「木工藝学林清雅舎」展
会期 2024年9月11日(水)~16日(月・休)
時間 午前10時〜午後7時 ※最終日5時まで
会場 日本橋三越本店6階美術特選画廊
木工藝を研究し共に錬磨することを目的に5人の木工家を集め始まって早6年が経ちました。名称は一昨年の展覧会から正式に「木工藝学林清雅舎」とし、また今年からは女性作家3名が加わって多彩な顔ぶれとなりました。皆それぞれに活躍しだしたことは喜ばしい限りです。
高度な木工藝を学ぶ場が、残念ながら日本にはありません。「木の国」と呼ばれるにもかかわらずです。人間国宝の任務の一つに後継者の育成がありますが、そこで言われるまでもなく、自分のやってきたことのいくつかでも若い方に伝え、連綿と伝わってきた日本の正統な木工の歴史を絶やさぬよう、何ができるか模索し取り組んできました。ですから新たに3人が、特にまだ日本では少ない女性作家が、加わったことはことのほかうれしいことで、刺激しあって精進していきたいものです。
今回展には木工藝の新しい身近なアイテムの提案として「ペンケース」の競作、さらに工芸の基本形としての箱の一つとして「香盒」の競作、2種の競作が出陳されます。メンバーそれぞれの持ち味が発揮されることを願いました。また、この他大小90点余の作品が陳列されます。
またかねてからの念願であった冊子の発行をいたします。各自が思いを文章化する機会として、作品とともに考えを述べています。こちらも是非ご一読いただきたく、会場にて販売させていただきます。
皆様のご来場をお待ちしております。
昨年の9月に始まった第70回日本伝統工芸展も、先月、九州福岡会場を最後に無事終了しました。今回は作品とともに一昨年に行った「木工芸伝承者養成研修会」の報告と成果物の展示もあり、思い出深い会となりました。多くのお客様にご覧いただき誠にありがとうございました。
例年はこれでようやく作品が帰ってくるのですが、今回はさらに選抜展が開催されるため帰宅はもう少し先になりそうです。この選抜展は伊勢神宮美術館を会場として、日本伝統工芸展の70回の節目を記念して開催されるもので、いわゆる人間国宝の作品や受賞作、神宮ゆかりの作家の作品が展示されます。
神宮と工芸作家は御神宝の製作などを通して深い関係があります。私たち工芸家が常に規範とする正倉院は、あたかも時を止めたかのように、宝物すなわち過去の偉大な作品をそのまま保存しています。対して神宮の宝物=御神宝は発祥の時期こそ同じくしますが、20年に一度すべてを新しく作り続けて常に新しい姿で今を迎えています。どちらも美の伝承、技の伝承にとって欠かせない稀有な存在なのです。
神宮の美しい森に包まれた静謐な美術館でゆっくりご覧いただきたくご案内いたします。
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特別展「式年遷宮と日本伝統工芸-不変のフォームと古からのアート-」|展覧会情報|神宮の博物館 (isejingu.or.jp)
展示作品 献保梨拭漆小箪笥『歌合』
会 場 神宮美術館展示室Ⅰ・Ⅱ(アクセス)
会 期 2024年3月15日(金)-4月17日(水)
休 館 日 木曜日(祝日の場合はその翌平日)
入館時間 午前9時~午後4時30分(最終入館は午後4時まで)
主 催 式年遷宮記念神宮美術館
協 力 公益社団法人 日本伝統工芸会
後 援 三重県教育委員会・伊勢市・NHK津放送局・中日新聞社伊勢支局
新神戸は竹中大工道具館で、現在「鉋台をつくるー東京における台屋の成立と発展」と題する展覧会が5月19日まで開催されています。私も少し協力しているのでお知らせします。
言うまでもなく鉋は木工作業の大切な、そして重要な道具です。削る作業は木工作の基本として、大工だろうと木工家だろうと木の工作に携わる人々にとって重要な工程だからです。しかしながら、今まで鉋と言えば、その刃を打った鍛冶の名は私たちの関心を集め、昔から名人が語り継がれてきた一方で、台が注目されることがありませんでした。いくら良い刃物でも台が無ければ文字通り台無しで、役にはたたないはずなのにです。
今回はその「台を打つ=作る」人々に焦点を当てたユニークな展覧会です。過去、東京では人口が集中し鉋の需要も多いことにより、分業が進み、鉋台を打つ専門職が発達しましたが、外注は六分や八分の大型の平鉋などに限られ、私たち指物職が用いる小鉋や豆鉋、特殊な面鉋などの台は自ら作ることがほとんどでした。その後は、東京においても鉋を使う職人が急激に減少しその分業が成り立たなくなってきました。これからはまた鉋台は自作による時代になるのかもしれません。
そんな時代の変わり目にあって普通の平鉋や特殊鉋の台入れに優れた職人の世界の紹介です。木工家はいなくはならないでしょうが、台屋は確実になくなる気配です。今、しっかり記憶と記録にとどめるためにもぜひご覧ください。
私も過去、台屋さんに入れていただいた鉋や自作の小鉋類を何点か出陳しています。また図録に鉋台にまつわる文を書かせていただきました。合わせてご一読下さい。
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竹中大工道具館 | 鉋台をつくる―東京における台屋の成立と発展 (dougukan.jp)
会 期 2024年3月2日(土)~5月19日(日)
開催時間 9:30〜16:30(入館は16:00まで)
休 館 日 月曜日(祝日の場合は翌日)
主 催 竹中大工道具館
監 修 土田昇(土田刃物店店主)
協 力 小吉屋渡辺木工所、横堀樫材店
あけましておめでとうございます。
ここ群馬は快晴の元旦です。大雪の地方もあり、また戦乱の地もある中、それだけでもありがたいことに思えます。
今年は私にとっていろいろ節目になる年です。年齢も古希を迎えます。遥かかなたのことと思っていましたがもうそこまで来ました。仕事を本格的に始めて50年(正確には昨年のようですが意識しませんでした)。重要無形文化財「木工芸」保持者に認定されて10年。
その年頭に当たって思い浮かぶ言葉は「僥倖」です。今まで、それなりの努力は重ねてきたつもりですが、まず努力の前提として、その素地に自分が恵まれたこと、それが周りの協力・援助を得て続けられたこと、何より報われたことは僥倖以外の何物でもありません。私を支えてくれた何ものかに、努力だけではどうにもならない偶然の積み重ねともいえる他者の存在に深い感謝を捧げたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。世界の平安を切に祈ります。
今から20年以上前に「九つの音色」という9人の作家による集まりがあり、2年ごとにテーマを決め展覧会を開いて本を出版してきました。最後の5回展(2009年)のテーマは「祈りの継承」。その時寄せた一文が今の気分に合うようです。再掲いたします。
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祈りの継承
私の周りには何故か佛家の縁が多い。かと言って私自身特に信心深いわけでもない。ごく普通の日本人の例に洩れず命日にお参りをし、回忌に法要をするくらいである。小さい時から両親が仏壇によく向かう姿を見て育ったが、それに比べると格段にその習慣から遠ざかっている。さらに子供たちを見れば後は推して知るべしである。
そのような私にとって「祈り」とは何か特定の宗教に対する帰依ではない。今私自身が生きていることに対し、大きな驚きをもって気付き、この大いなる生の偶然に対する感謝の表象という言い方が近いように思う。私たちは「おかげさまで」とごく自然に言う。喜びあり、楽しみあり、そして苦しみもあるこの現世にそれらすべてを包み込んで今生きていることは、ただただ驚きである。「おかげさま」に端的に、無意識に言い表されてきたが、それは「僥倖」ということに他ならない。
自分の足許を見つめ今ある姿を「僥倖」と言えることは何と幸せなことだろう。祖父が始め、父が築いた我が家の木工芸の系譜も、日本の近代木工芸の展開とともに100年余の時を刻んできた。
湿潤で地味の肥えた風土にあって、優良な木材に恵まれた本邦では、古より木工は盛んであったはずである。「湯水のように」という言い方があるほど水に恵まれたこの日本列島は地政学的にはまれに見る幸運の緑の大地というべきだろう。しかしだからこそ木による造形はあまりにも当たり前のものとして、改めて顧みられることがなかった。他の工芸諸技術が庶民の実用品から、それを当初目的としたかどうかはともかく鑑賞に堪えうる「作品」まで重層的に花開いたのと違い、木工品は長く実用のみの世界に甘んじてきた。
祖父が手先が器用と言うだけの理由で弟子入りしたのは、そんな時代の話である。当時としては歳をいってからの修行だったが「偶然」にも性に合い、「偶然」にも、師は作家という新しいスタイルを目指す人でありその下で正しい木工藝を習得した。その子である私の父は長男として「当然」の事として跡を継がされることとなる。決してこの仕事に向いていたとはいえぬがそれだけに人一倍努力を重ね、祖父の築いた正統の木工藝を発展させ、作家性を前面に出す生き方を選んだ。素材と技術に依拠しそこに作家としての作り手の存在を表明する日本独自とも言える工藝観に基づく作品制作である。
単に生活財を作り出す職人仕事から離れ、「作品制作としての木工藝」は苛烈と言ってもいい。その姿を身近に見て、違和感もいわんや嫌悪感など持たず私は「自然」にこの道に入った。「木の国」日本は不思議にも木工藝を体系的に教え、研究する機関を持たない。その中にあって私は幸いにも祖父から、いやその師以前からの正統な木工藝を尊び受け継ぎ、その上に自己の世界を築くことができる。また自分にとってそれがごく自然に感じられることはまさにこの仕事が私の天職であり、今ある姿が「必然」の姿と、この頃とみに思うようになった。「伝統工芸」は伝統があるだけに思いつきでどうにかなるものでも、ひらめきだけでできるものでもない。量としての技術の練磨と素材への理解が質の変化として昇華しひとりの木工藝作家として誕生するのに100年余かかったことになる。
偶然から始まり当然―自然と経て今必然と言える。これこそ「僥倖」と言わず何と言うのだろう。
私にとっての『祈りの継承』はこの今の僥倖の自覚の延長上にある。
今日ようやく仕事場に松飾を飾り付けました。その作業をしながら
来年は一つの区切りとして身辺整理をして、もう少し
来年も引き続きのご理解とご支援をお願いいたします。
世界に平安の日々が来ることを切に願っています。
須田賢司
既にご案内の通り北海道立旭川美術館で開催中の「木の匠たち」展の関連催事として、来る11月4日㈯午前10時30分より同館講堂にて講演会が催されます。こちらで「人間国宝 須田賢司ー清雅を標に」と題して、日本の木工史の中での自分の仕事についてお話をさせていただきます。
ご参加ご希望の方は午前9時30分以降に以下の番号へお電話にて美術館へお申し込みください。
お電話番号は 0166-25-2577旭川美術館 です、皆様のご応募をお待ちしております。
尚、この展覧会には黒田辰秋の棚物の大作を始め28点の木工作品が展覧されています。私の作品は若い時に道立近代美術館でのコンペでグランプリをいただいた作品(2点で一組)や最近収蔵いただいた作品のうち4点、また父桑翆の作品も同じく4点陳列され、親子の作品をともに陳列していただき感慨深いものがあります。このように木工作品がまとまって展覧されることは貴重です、是非ご高覧ください。