今年も伝統工芸展の季節となりました。とは言っても私の中の伝統工芸展は昔のままで、9月3日の作品締め切りを経て10月に開催という感覚が抜けません。私が幼いころは夏休みのあいだ中、父が作品作りに精を出していたことをよく覚えています。長じて自分が出品するようになってもしばらくはこの日程でした。入選が決まり、初秋の涼しい空気の中で開かれる展覧会は家族一同の楽しみでした。その頃が懐かしい今日の猛暑です。
日本伝統工芸展は今年70回の節目を迎えます。22回展の初入選からずいぶん時が経ちました。振り返ってみれば人生の大部分をこの展覧会とともに歩んだ、と言っても過言ではありません。
第70回日本伝統工芸展は9月13日から25日まで日本橋三越本店で開催のち、全国を巡回いたします。
今展では「献保梨拭漆小箪笥『歌合』」を出品いたしました。献保梨はケンポナシという樹種の漢字表記ですが、これには複数の表記の仕方があって、今展にもこの材を使った作品が何点か出品されているうち「玄圃梨」「枳椇」と表記は様々です。特に「枳椇」は本来「キグ」と読み、ケンポナシの実の漢方薬としての呼び方です。このようにもともとケンポナシあるいはケケンポナシと発音されていた日本語を漢字に置き換えたのですから、どれも間違いではないのでしょうが紛らわしいものです。ですから科学的に表記するときはカタカナで「ケンポナシ」+学名[Hovenia dulcis Thunb.]と書くことが重要になってきます。今回は作品名ゆえ、木工の世界で一般的な漢字表記にならい「献保梨」としました。
この献保梨は梨という字を含みますが食用の梨とは関係なく、レーズンに似た実がなるところから英名をRaisin treeと言います。材は木目が美しく硬さも中庸で、明治以降の特に東京を中心とした指物に好まれてきました。明瞭な道管が環状に連なり年輪を形成する環孔材ですが、同じ環孔材の桑のような印象の渋さや、欅のような豪放さがなく、どこか粋な洒落感が漂います。明治初期に西洋家具が日本で作られ始めたころなどは、椅子の材としても使われたように、不思議と洋風にも合う材です。さらに皇居新宮殿の家具、御料車の内装にも使われていることからも品の良さがわかります。私が歴史的に東京の指物の系譜にあるためか、献保梨は好んでよく使う材の一つです。今回は中でも柾目面に出た縮杢が見所です。
題材に採った歌合は平安時代初期(9世紀前半)以来宮廷や貴族の間で流行した遊戯で、左右に分れた歌人がその詠んだ歌一首ずつを組み合わせ,優劣を競います。平安時代に村上天皇によって行われた、天徳4年(960年)の歌合がその典雅さ故に特に有名で、両者の間に置かれた洲浜形の台を置き、そこに和歌をしたためた色紙を置いた、と情景が記録されています。
私は最近、和歌、それも古代の歌に惹かれます。もともと漢詩が好きだったのですが、年齢かあるいは湿潤なこの天地(あめつち)に生きる自覚からでしょうか。いずれにしろ三十一文字の世界に関心が向き、その結果の一つが今回の作品です。
左右に開く箪笥の中心には洲浜を形象化した金具を置き、左右を結び付けています。開くと楓と黒柿を用い、白と黒で構成された引き出しが現れます。また歌合の勝敗にならって引き出しを左右入れ替えることが出来ます。この引き出しは上下、前後を逆さまにしても気持ちよく入るのですが、これには制作に厳格な寸法精度が必要で、本来指物は制作上にこのくらいの仕事があってよいものです。台輪には黒柿、足には硬質な小笠原桑を用いました。
皆様ご高覧頂けますようお願い申し上げます。須田賢司
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